「Elena」
チェリストとしてパリで活動するスイス人のエレーナとは、もう15年を超える付き合いになる。実際に会っている時間はわずかなのに、互いに相手を深く理解し合えていると信じられるのは、とても不思議でごく当然という気がする。
演奏旅行で世界を旅する彼女と絵描きとして旅した私は、同じ旅人として共感共鳴する部分がありすぎるが故に、重なる時間が短い事を互いに理解している。そのためにわずか数日で心の内なる森を語り合いつつも、決して相手をそこに導かないというルールが存在する。私達は数年おきにNYかパリで数時間を過ごし、そこで可能な限りの会話を楽しみ、そしてさらりと別れ、また数年後の再会まで連絡を取らないという事を繰り返している。
そんな彼女が私の宿に滞在する時は、いつも建物全体が心地いいハーブの香りで包まれ癒される。香水でもなくボディークリームでも無い、一体どこからその香りがやってくるのかというと、彼女の存在そのものとしか言えないほど、その香りは軽く静かでありながら消える事がない。
ある時、急遽決まったリンカーンセンターの公演の為、アッパーウエストに泊まっていた彼女から連絡があり、これから顔を出しに行っていいかと聞いてきた。しばらくして、呼び鈴が鳴ると何歳になってもたくさん風を浴びた少年のような面影の彼女は、両腕からこぼれる程大きな桜の枝の束を持って、満面の笑みでドアの前に立っていた。演奏のために指を気にしなければならないはずなのに、お構いなしと言った様子で私が驚く顔を見る為に、自分の身長くらいの枝を抱えてチェルシーからやって来たのだという。その桜は建物の中に差し込む光を浴びて、彼女そのもののように見えた。
以来、毎年春に桜が咲き始めるとエレーナを思い出す。どれ程もう数日留まって欲しいと願おうとも、わずかな香りを残して去ってゆく、桜に彼女のイメージが重なり清々しくも寂しい思いになる。が、その後には必ず気持ちのいい新緑が胸の中に広がってゆく。それはまた会えるという確信。再会の時まで育ち続ける私達の森。
チェリストとしてパリで活動するスイス人のエレーナとは、もう15年を超える付き合いになる。実際に会っている時間はわずかなのに、互いに相手を深く理解し合えていると信じられるのは、とても不思議でごく当然という気がする。
演奏旅行で世界を旅する彼女と絵描きとして旅した私は、同じ旅人として共感共鳴する部分がありすぎるが故に、重なる時間が短い事を互いに理解している。そのためにわずか数日で心の内なる森を語り合いつつも、決して相手をそこに導かないというルールが存在する。私達は数年おきにNYかパリで数時間を過ごし、そこで可能な限りの会話を楽しみ、そしてさらりと別れ、また数年後の再会まで連絡を取らないという事を繰り返している。
そんな彼女が私の宿に滞在する時は、いつも建物全体が心地いいハーブの香りで包まれ癒される。香水でもなくボディークリームでも無い、一体どこからその香りがやってくるのかというと、彼女の存在そのものとしか言えないほど、その香りは軽く静かでありながら消える事がない。
ある時、急遽決まったリンカーンセンターの公演の為、アッパーウエストに泊まっていた彼女から連絡があり、これから顔を出しに行っていいかと聞いてきた。しばらくして、呼び鈴が鳴ると何歳になってもたくさん風を浴びた少年のような面影の彼女は、両腕からこぼれる程大きな桜の枝の束を持って、満面の笑みでドアの前に立っていた。演奏のために指を気にしなければならないはずなのに、お構いなしと言った様子で私が驚く顔を見る為に、自分の身長くらいの枝を抱えてチェルシーからやって来たのだという。その桜は建物の中に差し込む光を浴びて、彼女そのもののように見えた。
以来、毎年春に桜が咲き始めるとエレーナを思い出す。どれ程もう数日留まって欲しいと願おうとも、わずかな香りを残して去ってゆく、桜に彼女のイメージが重なり清々しくも寂しい思いになる。が、その後には必ず気持ちのいい新緑が胸の中に広がってゆく。それはまた会えるという確信。再会の時まで育ち続ける私達の森。